家業倒産。新婚時代~バブル崩壊まで。一生懸命働いたのに。

写真は東京・小石川後楽園です。

鮮やかな秋の景色の向こうに東京ドームの屋根が見えます。

東京のど真ん中にこんなにも静かで趣のあるところがあるんです。
というか、東京のど真ん中、ですよ。
ど真ん中ということは皇居ですよね。

皇居の周りには本当に緑豊かな美しい空間が多いです。

皇居はもちろん、千鳥ヶ淵、靖国神社、小石川後楽園・・・。
ステキなところばかり、
しかもそれらが全部歩いて行ける場所に我が家はありました。

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こんなところに人が住んでるの?

お嫁に来る前、こんな東京のど真ん中に人が住んでいるとは思いませんでした。
私にとって大都会は ”仕事で来る街” でしたもんね。

便利でにぎやかでカッコイイけど、日常の買い物はどこへ行くんだ?
スーパーの1つもなければ暮らせないじゃん。

だからお嫁に来ると決まった時、びっくりしました。

小さな商店がたくさんあって、
八百屋さんや魚屋さん、表具屋さんもあって、それらの商店はそのまま自宅なわけです。

その合間に個人のお宅もあるしマンションもある。

へぇぇぇ、けっこう人が住んでるんだ~。

スーパーマーケットもあるんですよ、あっちに1軒、こっちに1軒。
目立たないけど。

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早く家から出たかった私

32年前、結婚しました。

婚家は商売をしていたので、私は仕事をやめ、お嫁に行きました。

家付き、ばば付き、商売付き。
嫁入りと同時に家業の一員なので文字通り ”永久就職”。

実家は東京郊外、婚家は東京都心の一等地。
電車で1時間以上の距離。

商家で、おまけに姑と同居なんて農家に嫁に行くようなもんだ、苦労するに決まってる、と母は猛反対したけれど。

その反対を押し切って私たちは結婚しました。

母には母のささやかな夢がありました。

結婚した娘夫婦は ”スープの冷めない距離” に住んで・・・

しばらくは共働きだろうから留守の間に掃除くらいしてやろう、
夕飯のおかずは娘夫婦の分も作ってやろう、
やがて子供が生れたら子守もしてやろう、
そのうち同居するのかな~。

母の夢は何一つ叶わない結婚。

でも、母の夢を叶えるために結婚をあきらめることは出来なかったし、好きな人とする苦労なら構わないと思いました(甘い!!)。

そして何より、私は母から逃げたかったのです。

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一生懸命働きました!

婚家の家業は食品関係の問屋。
夫の祖父が創業し、夫の父が大きくして法人にし、夫が3代目。

先代(夫の父)の 戦後の復興~高度経済成長の時代、家業も波に乗って成長したのかもしれないけれど、義父はその好景気が未来永劫続くと思ったのでしょうか。

息子を、他人の釜の飯も食わせることなく高校卒業と同時に家業に入れ、経営者としての英才教育はほとんどしませんでした。
ある日、先代に末期の癌が見つかり、社長業の一切を引き継ぐこともなくあっという間に帰らぬ人となり、息子は突然経営者になりました。

そして結婚。

夫はバカがつくほど真面目な人。

いきなり継ぐことになった社長業に四苦八苦しながらもしっかり家業を守っていました。

とにかく残された母親を抱えて、”家業を健全に継続する” ことが最重要課題だった彼にとって結婚はきっと良いことだったと思います。

取引先や取引銀行など周囲の人々にも祝福されて、盛大な結婚式を挙げました。

結婚してしばらくは何もかもが順調でした。

私も姑との折り合いに苦労しながらも一生懸命働きました。

夫も一生懸命働きました。

従業員が数人いて、総勢10人程度の小さな会社ですが、皆そこそこのお給料をもらい、賞与も年2回、きちんと出ていました。

仕事にも慣れて全体が見えてくると疑問に思うことがあり、夫に質問しました。

「この家業を、将来どうしたいの?」

すると夫は

「特にどうしたいということはない。真面目に一生懸命働いていればお客さんは付いて来てくれる。会社を大きくしようなんて思わない、今日の仕事が大事。」

と言うのです。

私は商売はズブのシロウトでしたけど、それはちょっと違うんじゃないか と思いました。

会社を大きくしないのは、良いです。
大きくすることばかりが成長ではないし。
でも・・・。

真面目に一生懸命働いていればお客さんは付いて来てくれる。
・・・・・・・・。
本当にそうなの?
そこに創意工夫とか、経営努力とか、会社のビジョンとかはいらないの???

そう思ったのです。

そうは思ったけど、新米が家業について口を出すことは一切許されませんでしたし、私も日々を暮らすことに精一杯でしたのでそれ以上の話はしませんでした。

そしてそう思いながらも、本当に毎日真面目に働いていれば業績は上がることはあっても下がることはなかったのです。

バブルが弾けるまでは。

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バブル崩壊がきっかけで「終わり」は始まった

バブル崩壊は1991年~1993年とされています。
株価の大暴落を皮切りに折しも重なった湾岸危機と原油高、地価の急激な下落、金融引締め。
当時の私には何が起きているのかさっぱりわからないまま、家業の業績もあれよあれよという間に下降しました。

良いときは5億ほどあった年商が、数千万単位で落ちてゆくのです。
夫はそれを誰にも言わず(言えず?)私に、もうダメかも、と愚痴をこぼした時、年商は3億を切っていました。

廃業・・・?

会社を畳むなら、そこで畳んでおけば良かったんです、今にして思えば。

夫はかなり本気で考えたかもしれないけど、私はまだ頑張れると思って夫にハッパをかけました。

業績が下がった?
だったら回復しなくっちゃ!
これを機に古い体質を改善して、出来ることは何でもやってみようよ!
シロウトは気持ちだけは元気です。
その元気は大事だけど、やり方があまりにも間違っていました・・・。

後から思えば、もっと他にやり方はいくらでもあった、家業存続は充分に可能だったと思います。

なぜ倒産したのかと言えば、

バブルの夢から覚めきらない素人が苦し紛れに悪あがきして、しなくて良い借金を作ってニッチもサッチも行かなくなった・・・。

それだけのこと。

でも、その当時の私たちは気付かなかったんです。

悪あがきは「終わりの始まり」になる、とは。

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