死ぬことも出来ず、死んだように生きていたあの頃の私。

死ぬことも出来ない

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後始末と引きこもり、どんどん落ちていく。

会社を閉めるといったって準備が必要です。
従業員やお客様にはそれなりの案内をして、従業員の方々には完全に停止する日まで働いてもらわなければならないし、彼らの次の仕事も考えなければなりません。

銀座のデパートのテナントは、受け売りの商品を仕入れていた会社にそのまま引き継ぐことにしました。

そうして皆さんに多大なご迷惑をおかけして会社は終わるのです。
なにがつらいって、従業員の方々に倒産を伝え、最後の仕事をしていただくのが本当につらかったです。

皆さんにもご家族があり、人生設計もあり、それが全部狂うのですから。
次の仕事を紹介したからって、それが望み通りになるかは別問題。

倒産は罪深いことです。
それだけのことを私たちはしたんだと思うと、本当にいたたまれない思いです。

会社の業務が完全に停止し、シャッターを閉めた時には少し安堵感があったように思います。

会社も自宅も処分し、私たちは都内の小さなアパートを借りました。
それから1年くらいは残務整理と様々な手続きに追われました。

もちろん管財人さんが入るので勝手にはできませんが、返品できるものは返品し、売れるものは売って、後に残るものはすべて廃棄処分です。
書類はすべて保管します。
未回収の売掛金の集金はなかなかはかどりません。

後ろ向きの仕事はつらいものです。
何をどう処分してもお金は余分に残るわけもなく、弁護士さんと相談して当面の生活費を確保するのが精一杯でした。

夫は疲労困憊し、保険を解約する前に俺が死んで保険金をもらったらいいんじゃないか、と言い出しました。

この時夫は本当に死にそうで、鬱になるかと思いました。
少しそのケはあったのかもしれません。

私は、とにかく死ぬなんてことを考えてはいけない、生きていれば何とかなる、と叱ったことを覚えています。
そういう私も途方に暮れていたのですが、とにかく死んじゃダメ!と思いました。

家業の始末があらかたついたところで今度は自分たちの仕事を探さねばなりません。

夫は社長時代のツテで、ある会社に就職しました。
生まれて初めてよその会社に勤務するのです。

大丈夫かな、と思いましたが意外に夫の顔は晴れやかでした。
毎日の資金繰りや経営者の苦悩・責任から解放され、ほっとしたのです。
完全に解放されたわけではなく、実務から解放されたということですが。
新しい仕事は同じ業界の仕事だということもあるのでしょうが、気楽でいいよ、と言っていました。

夫が少しでも生きる気力を取り戻してくれてほっとしたけれど、今度は私がおかしくなりました。

処分しきれないあれこれを、借りていた都内の事務所に運び込み、引きこもってしまいました。

今考えれば、処分しきれなかったのではなく、処分できなかった、んですね。
オリジナル商品の企画書、レシピ、包装資材、チラシやPOP、各メディアで紹介された記事、記録、原材料、商品そのものまで、とにかくありとあらゆる資料や現物。
やがてゴミになってしまうのに、何かの役に立つかもしれないと思って捨てられなかった。

ただの未練、ただの執着心です。

狭い事務所はモノでいっぱいでした。
その中に埋もれて、途方に暮れ続けていました。

とにかくお金がないので働かなくてはなりません。
かつてのツテを頼って細かい仕事を受けていましたが、あまりにも不安定です。

定職に就かなくては、と思うのですが体も頭も止まったまま。

なぜこうなってしまったのだろう。

考えれば考えるほど、すべては自分の責任だということを痛感するばかりです。
新事業が急成長する中で、お金のにおいを嗅ぎつけて忍び寄ってくる輩もいました。
6年の間にはこちらが騙されたり、代金を踏み倒されたこともありました。
でも、そういうことさえもまぎれもなく自分の責任です。
自分の至らなさ、計画の甘さであって、他人のせいにできることは1つもありません。

私の無知、無茶、無謀。

80年の老舗を倒産に追い込み、新規事業を潰した。

確かに家業は、先代や夫の経営の落ち度もあったかもしれない。
バブル崩壊の痛手もあったかもしれない。

でも、更生するのではなく、ぶち壊したのは私。
自分のしたことの大きさ、罪深さに押しつぶされそうでした。

それでもそこで残務整理と、知人から細かい仕事をもらってこなしていました。

初めのうちは夜には自宅へ帰っていましたが、やがて帰宅が1日おきになり、週末だけになりました。

何とかもらっていた仕事も途絶えるようになりました。
収入はごくわずかになりました。

私は食事を取れなくなりました。
お金がなかったせい、というよりは忘れてしまうのです。
あんなに食べることが好きだったのに、食べることに関心がなくなりました。

このころ、毎日どう暮らしていたのか、どうして生きていたのか、
ほとんど記憶がないのでよくわかりません。
夫がどう暮らしていたのかもわかりません。
週末にしか帰らない私を責めるでもなく、いつも通りに接してくれた夫が何を思っていたのかもわかりません。

あの時は小銭を数えて暮らしていたこと、
いよいよ何か食べなきゃ、と思うとなじみの店で食事をしていたことを覚えています。

尋常でない私の様子に、店主のおやじさんが
「めしくらい食わせてやるから。心配せずに毎日来い。」
と言ってくれました。

もう、死にたい。
と思いました。

でも、人間そう簡単に死ねないものです。
死にたい、と言ったって、じゃあ本当に死ねるかと言えば死ねないです。

手首を切るのも首を吊るのも痛そうだし
車や電車に飛び込んだら大迷惑がかかるし
どこか高いところから飛び降りるのも怖そうだし。

第一、私が死んだら夫も生きてはゆけないだろうし、母の面倒は誰が見るのか?
借金を踏み倒して勝手に死んでゆくのはあまりにも卑怯じゃないか。

死んでも何の解決にもならないのは自分が一番よくわかっています。
なにより今、私が死んで夫や母に余計な(それも少なくない)出費をさせるわけにはいかないと思っています。

そんな風に思うので、おトイレも行くし、いい加減食べなきゃと思うと食事もする。
これじゃ死ねないでしょ。

でも、相変わらず食欲はないし、元気なんか全然ない。
死ねないけど、生きようという気力がないし、死んでもいいと思っているくらいなので定職にもつけない。

自分で死ぬことは出来ないけど、道を歩いていて車が突っ込んできてくれたらいいな、と思っていました。

今までの人生、私はいつも元気で自信に満ちていて、殺されても死にたくないと思っていたのに。

その私が死にたいとか死んでもいいとか思って死んだように生きている。
そのことに自分自身、とてもびっくりしていました。

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